群馬県の歌枕・伊奈良沼
伊奈良沼

県の東南端、鶴舞う形の頭部に位置する邑楽郡板倉町の一部が、以前は伊奈良村と呼ばれていた。板倉町周辺は、南西を流れる利根川と北東を流れる渡良瀬川の流域に挟まれた湿地帯として知られており、地図を開くと現在でもあちこちに沼が点在している様子がわかる。おそらく当時存在していた、そうした沼の1つが「伊奈良沼」と呼ばれていたのだろう。
猶、町内にある雷電神社には、聖徳太子が「伊奈良沼」の小島に祠を作ったのが創祀であるとする伝承が残り、板倉中学校の校歌にも「伊奈良沼」が登場するのだそうだ。

この伊奈良沼も、『万葉集』巻14の上野国東歌の中に登場している地名である。
上毛野伊奈良の沼のおほゐ草よそに見しよは今こそまされ[万葉3436]
第三句の「おほゐ草」はカヤツリグサ科の植物、フトイのこと。水辺に群生し、2メートルもの高さになるという。和歌に詠まれる事が珍しい植物である。
この万葉歌は、平安時代にもある程度の関心を持たれていたようで、『古今和歌六帖』の草部に載る他、平安後期の歌学書『五代集歌枕』で「伊奈良の沼」の項に、『綺語抄』で「おほゐ草」の項にそれぞれ引用されている。あまり聞き慣れない地名と植物名が歌学的興味を喚起したのであろう。だが、平安時代に詠まれた歌の中に伊奈良沼が登場している例は、現在判明する限りにおいては一つも見当たらない。

鎌倉時代に至って、少数ではあるが、ようやく「伊奈良沼」を詠んだ歌が現われた。その1つが、自らの著書『八雲御抄』名所部の「沼」の項に伊奈良沼を収め、ついでに言えば、枝葉部の草部「草」の項に「おほゐ」を収めている順徳院の次の歌である。
逢ふ事は伊奈良の沼のおほゐ草よそにや恋ひん袖はくつとも[夫木抄11373]
家集『紫禁和歌草』では肝腎の第二句が「いなべの沼の」と本文異同を呈しているが、ここは『夫木抄』本文に従うのが妥当だろう。第二句から第四句の「よそに」まで万葉歌に完全に一致し、恋歌である事と併せて、強い影響を受けている事は間違いないが、「伊奈良」に「否む」の意を掛けた点が独創である。端で見ていた状態から親しく逢えるようになり、一層愛おしさが増したと恋の喜びを謳歌する万葉歌に対し、逆に逢う事を拒まれて、更に端で見ているしかない状態が続く嘆きを訴えた歌となっている。
それに続いて、為家によって
おほゐ草波は上にぞなりにける伊奈良の沼に晴れぬ五月雨[夫木抄11374]
と詠まれた。『夫木抄』によれば、貞応三年(1224)に詠まれた百首歌の中の1首である。こちらも「おほゐ草」との取り合わせが踏襲されているが、長く降り続く五月雨のために沼の水位が増した様子を描く叙景歌である。

「伊奈良沼」を詠んだ和歌は、この程度しか検索されなかった。歌枕が繰り返し詠まれる歌枕となるための典型として、特定の景物と結び付くケースがある。「おほゐ草」とともに詠まれる「伊奈良沼」は、そうなり得る条件を備えていたとも言えるのだが、結局珍しい歌枕と珍しい植物として終わってしまったようだ。



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